北海道キャンプ場見聞録
沙流岳(2023/03/29)
疲労困憊は良い経験
2日前に30センチ近く積もった雪は、家の周りではほとんど解けてしまっていた。
さすがに山に降った雪は解けてはいないだろうと思っていたが、中途半端に解けてモナカ雪になるのが一番困る。
そんな心配をしながら、今日は沙流岳に登ることにした。
午前8時に日勝ピークの駐車場にやってくると先客の車は1台だけ。
今日は日勝ピークに登るだけというソロの男性を追いかけて、午前8時15分に登り始める。
風に飛ばされた雪は風紋ができていても柔らかい
一昨日は麓でも強風が吹いていたので、その日に積もった雪は多くが吹き飛ばされてしまったようだ。
それでも、山の斜面には風紋が広がっているものの、固い雪面が露出している場所は見当たらない。
風紋を作っている雪もそんなには固くはないので、これならば滑るのにも問題は無さそうだ。
労山熊見山が後ろに見える
昨日のものと思われるトレースの中を登っていくと、沢山のトラックが刻まれている斜面が見えてきた。
一昨日は風が強かったので、それらのトラックも昨日のものなのだろう。
ノートラックの場所も残っていて、帰りの滑りが楽しみだ。
斜面のシュプールが気持ちよさそうに見えたのだが
私が沙流岳に登ったのは、8年前の4月にカヌークラブのメンバーと登った一度だけ。
沙流岳へは日勝ピークを超えていくのだけれど、ピークを超えた後は200mほど標高を下げて、それから登り返すことになる。
8年前は、無駄な登りを避けて、途中から北側斜面をトラバースしていた。
自分のホームページの記録を読んでみると、急斜面のトラバースにかなり苦労したと書かれていた。
標高を上げていくと東大雪や十勝岳連峰の山々が見えてくる
一昨日の強風で北斜面の雪が飛ばされてしまっていたら、その時以上に苦労するかもしれない。
少々遠回りになっても良いから、私は南斜面からトラバースするつもりでいた。
南斜面なら雪もあるだろうし、陽射しを受けて雪も柔らかくなっているだろうとの読みである。
都合の良いことに、使わせてもらいっていたトレースも途中から南斜面の方に向かっていた。
そのトレースは最後は山頂に向かっていたけれど、私はそのまま南斜面をトラバースしていく。
行く手をハイマツ帯に塞がれる
ところが、先月に快適な滑りを楽しんだ南斜面は一面にハイマツが露出していたのである。
ハイマツに行く手を阻まれ、しょうがなく日勝ピークの山頂まで登る羽目となる。
ところがその山頂もハイマツに覆われ、結局はスキーを脱いでそのハイマツ地獄から脱出することとなった。
ハイマツに覆われた日勝ピーク山頂
山頂からは、これから向かう沙流岳の姿も見えている。
しかし、ここから200m下って登り返すことになるので、尾根で繋がっている山という感じではなく全く別の山に見えてしまう。
日勝ピークから見える沙流岳
ピークから少し下ったところに堀ゲレンデへの入口がある。
ここまで続いていたトレースは、堀ゲレンデを目的としていたようで、その先にトレースはなかった。
ちょっと心細くなるが、尾根の上を歩いてゆけば良いだけなので迷う心配は無い。
このトレースは堀ゲレンデの入り口で終わっていた
尾根の上は形の良いエゾマツやトドマツに覆われ良い雰囲気だ。
青々としたマツの中で、立ち枯れて白骨化したマツがアクセントとなっている。
美しい森の中を下っていく
ペケレベツ岳の姿も直ぐ横に見えている。
樹木が密生しているその姿は、十勝側から見るのとは全く違っている。
今時期の春山は黄砂が降って雪が薄汚れていることが多いが、二日前の雪のお陰で真っ白な雪の風景も楽しめる。
何時も見ているペケレベツ岳とは様子が違っている
そんな風景を楽しみながら、緩やかな傾斜の尾根を滑り降りていく。
快適なシチュエーションのように思われるが、実際は悲惨だった。
尾根上にはあちこちに吹き溜まりができていて、固く締まった雪や表面がクラストした雪が交互に現れ、日当たりの良い場所ではザクザクになっている場所もある。
吹き溜まりの酷い尾根を避けて森の中をトラバース
所々に小さな登り返しもあるのでシールを貼ったままにしていたが、シールのせいでスキーの滑りも悪く、踵が固定されていない状態でそんな状態の雪の中を滑るのはとても大変なのだ。
へっぴり腰で滑っていると何度も尻もちをつくし、荷物を背負っていると起き上がるのにも苦労する。
そんな繰り返しに体力が奪われ、途中で引き返したくなってくる。
それでも沙流岳の姿が次第に大きくなってきた。
山頂部が尖ったその姿はとても急そうで、稜線には雪庇もできているし、そこを登れるのかと不安になってくる。
沙流岳が次第に近づいてくる
そしてようやく沙流岳手前のコルまで降りてきた。
その少し前辺りからシールに雪がくっつき始める。
これから急斜面を登るのだから、雪が付いていたほうがスリップしなくて良いかもしれないと、そのまま登り続けようとした。
しかし、シールに付いた雪が次第に厚くなってきて、10センチ位になるとさすがにスキーを持ち上げるのも辛くなってくる。
諦めて、ここでシールワックス塗ることにした。
駐車場からこのコルまでかかった時間は2時間15分。
8年前は2時間20分で登頂していたので、少々時間がかかりすぎている。
その分、体力もかなり消耗していた。
この段階で沙流岳登頂はほぼ諦めていて、行けるところまで行ってみようとの考えで登り始めた。
沙流岳に向かって登り始める
ザックに付けている温度計を見るとプラス1度くらいだ。
この程度の気温ではザラメ雪にはならない。
それでも斜面に付いている雪がそれほど硬くはないのは救いだった。
これで、一度溶けた雪が凍ったような状態だったら、スキーアイゼンを付けなければ登れないし、そもそもそれでは登る気にはならない。
頂上の尖った沙流岳
最初は順調に登っていけたけれど、登るにしたがって斜度がきつくなってくる。
私は高所恐怖症のきらいがあり、高度感のある山は苦手である。
特にこの沙流岳は山頂が尖っているので余計に高度感を感じてしまうのだ。
チセヌプリのように山頂が丸ければ、斜度が少々きつくても頑張れるけれど、山頂が尖っていると登るほどに恐怖感も高まってくる。
おまけに稜線には雪庇ができていて余計に恐怖心が募る。
何処まで登るかが問題だ
9日前に登った双珠別だけが隣に見えているが、そこから沙流岳を見た時の山頂から谷に向かって切れ落ちるように続く白い斜面が脳裏に焼き付いている。
間違ってその斜面に入ってしまうと、一気に谷底まで滑落するような気がして、そちら側には絶対に近付きたくない。
9日前は向こう側からこちらを見ていた
登り始めてから既に3時間が経過していた。
丁度良いところに灌木が生えていて、その上に廻ったところでようやく人心地ついた。
ここが私にとっての沙流岳の山頂だ。
ソロ登山の一番良いところは、反対する人が誰もいないということである。
自分の決断が全てなのだ。
止めたい時に自由に止められるのが気楽だ
後でGPSログを確認してみると、そこから山頂までは水平距離で約60m、標高差では約20mだった。
もう少し頑張ればと自分でも思ってしまったけれど、ソロ登山では慎重さも大切なのである。
山頂は目と鼻の先だったが、これで満足
分かってはいたけれど、そこからの滑りを楽しむ余裕は殆どなく、下山の手段として滑ったようなものだった。
体力的に限界だったので、足の踏ん張りが効かないのである。
コルまで滑り降りてようやく一息付けた。
丁度お昼になっていたのでそこで昼食にする。
疲れすぎていると食欲もない。
2つ持ってきたパンも、1個しか食べられなかった。
沙流岳を眺めながら休憩
念のため、シールにもう一度ワックスを塗ってから日勝ピークを目指して登り返す。
尾根を下ってきた時のトレースに少しは助けられたけれど、疲れた体にこの登り返しはこたえた。
途中で沙流岳を振り返る。
その斜面に刻まれた情けないトラックを見てガッカリする。
そこに登ったのは自分しかいないので言い訳のしようがない。
自分の滑った跡は見たくない
途中で休みを取りながら、堀ゲレンデの入り口まで約1時間で戻ってきた。
沙流岳に向かう時には同じ区間を下るのに50分かかっていたので、登りも下りも同じくらいに大変だったのである。
そのまま堀ゲレンデを滑り降りることも考えたが、初めて滑る場所という不安もあって、いつも通りに北斜面を滑ることにした。
ハイマツだらけのピークまで登ることなく、頂上直下の北側をトラバースして北斜面に出てこられた。
さあ、後はここを一気に滑り降りるだけだ!
と思って滑り始めたのは良いけれど、雪が酷かった。
表面がウィンドクラストしたモナカ雪。
しかもそのモナカの皮が固くて分厚いときている。
私の技術ではまともにターンもできない。
前日にここを滑った人は上級者だったのか、それとも雪がもっと柔らかかったのか
そうなると斜滑降の繰り返しで下まで降りるしかない。
スキーに乗ったことのない初心者が、何も知らずにリフトに乗ってスキー場の頂上まできてしまい、泣きそうになりながら滑り降りる。
なんだか、自分がその立場になってしまったような気がした。
やっとここまで降りてこれたけれど先はまだ長い
半べそをかきながら下まで降りてきた時には、駐車場に残っているのは私の車だけ。
時間は午後1時55分で、この日の行動時間は5時間40分。
疲れるのも無理はない。
今シーズンは何時も短時間で切り上げるバックカントリーばかり。
年齢とともに落ちていく体力。
自分の体力が今どれくらいあるのか、何かトラブルに見舞われた時のためにそれを知っておくことは大切なことである。
疲労困憊だったけれど、頑張ればもう少し行動できそうな気がした。
それを知ることができたのが今回の収穫となったのである。