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四国お遍路 6日目(11月3日)

民宿鶴風亭 6:50 ~ 民宿山茶花 16:30
移動距離 : 21.5キロ
参拝札所 : 20番鶴林寺、21番太龍寺、22番平等寺
宿泊 : 民宿山茶花 1泊2食付き6500円 (お遍路さんの多い宿)
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再び遍路ころがしへ


石垣の間の道を登っていく

6時50分、民宿鶴風亭のご夫婦に見送られて出発。
集落を抜けるといきなりの急登が始まる。

最初は石垣にそって舗装された道を登っていく。
それが途中から擬木階段に変わる。
木々の間から大きく蛇行して流れる川が見下ろせた。
熊野古道の小辺路を歩いている時に眺めた十津川の風景と良く似ている。

そこから更に登っていくと石畳の道となる。
これが昔ながらの遍路道なのだろう。


小辺路を歩いている時も似たような風景を見た気がする


標高差500m近くを一気に登って午前8時過ぎに20番鶴林寺に到着。
前日にも見かけた男性と再び顔を合わせて挨拶を交わす。


大井の集落まで下ってきた

鶴林寺を過ぎると再び下り坂となる。
何処まで下るのかと思っていたら、結局は登った分を全て下ってしまった。
これで終われるのなら良いのだが、もう一度同じ様な標高の場所まで登らなければならないのである。
下った後の登りほどきついものはない。

大井の集落の東屋で休憩していると、先程挨拶した男性も下ってきた。
千葉県の方でお母さんが札幌にいるとのこと。
今日は同じ宿に泊まることが解った。

先に私達が出発する。
山の上から見えていた那賀川を渡る。


山奥に人々の生活の跡が残っている

その先は美しい沢を眺めながら緩やかに登っていく。
石垣も組まれ、舗装された道が続いていた。
こんな山奥に何が有るのだろうと思っていたら、杉林の中に段々畑のように組まれた石垣が現れた。
昔はこんな場所にまで人々の暮らしがあったのだと、感心してしまう。

そこを過ぎると山道となり再び急登が始まる。
ここで登る標高差は、鶴林寺の時より少ないのだけれど、一度下った後の登りなので、こちらの方が辛く感じる。

舗装道路に出てきた。
まだ傾斜はきついが、そこを登っていたおばあちゃんの早さに驚いてしまう。


太龍寺の鐘突堂

11時過ぎに21番太龍寺の山門に到着。
太龍寺本堂はもの凄い数の中華系団体客に占領されていて、線香を立てる場所も無いくらいだ。
この寺は大型のロープウェイで登ってこられるので、こんな団体客もやって来るのだろう。

ベンチに座り民宿で持たせてくれたお弁当を食べる。
他のお遍路ツアーの男性からミカンをもらった。
同じお遍路さんからまでお接待してもらえるとは驚いたが、その男性はバスで回っているので、歩き遍路はやっぱり特別な目で見られるのかもしれない。

団体客がいなくなって静かになった境内はとても良い雰囲気だった。


落ち着いた雰囲気の太龍寺境内


ここから次の22番平等寺までは二つのルートがあったが、少し遠回りになるけれど舎身ヶ嶽を経由するルートを選択。

道を確かめるように歩いていた男性のお遍路さんを追い越す。
私達も同じルートを行くことを知って、安心したようだ。

ここの道沿いにも88箇所のご本尊の石仏が並んでいた。
その石仏を横目に見ながら坂道を登っていく。
最後に急な坂道を辿って舎身ヶ嶽に到着。


弘法大師と一緒に

岩峰の上に弘法大師像の後ろ姿が見えていたので、そこまで登ってみる。
鎖も取り付けられていて、まるでロッククライミングだ。
登った先には素晴らしい風景が広がっていた。
空海もこの風景を眺めながら虚空蔵求聞持法の修行をしていたのだと思うと、尚更素晴らしい風景に見えてくる。

この風景を見ないで通り過ぎるのは勿体ないので、かみさんにも登ってくるように促す。
すると、無理して岩場を登らなくても、その裾を巻くようにしてこちらまで来ることができた。

一緒に登ってきた男性は先に進んでいったが、私達はそこの反対側にも上に登る道が有ったのでそこにも行ってみる。
すると、そこには見覚えのあるオブジェが建っていた。
彫刻家流政之氏の「さきもり」である。
同じものを奥尻島で見ていた。
奥尻島のそれは海を背景にしていたが、こちらは果てしなく広がる山の連なりを背景にしている。
危うく、知らずに通り過ぎるところだった。
見逃すにはもったいなさ過ぎる風景である。


山の上に建つ「さきもり」


そこから少し登って太竜寺山の峠を越えると、その先から急な下りが始まる。
再び標高差500mを一気に下り、足がガクガクになる。

車道まで降りてきたところで再び男性に追い付いた。
彼は近くのバス停からバスに乗って徳島まで帰るとのこと。


この辺りで道に迷った

しかし、そのバス停が無いので困っていた。
私達も地図で確認してみるが、何か様子が違う。
近くの畑で仕事をしていた人に聞いてみて、自分達の現在地が思っていたのとは違う場所であることが初めて解った。
へんろみち保存協力会の地図では細かい場所まで解りづらいので気を付けなければならないのだ。

県道まで出てきたところで、バスに乗る男性と別れる。
県道は、またダラダラと登りが続いていた。
結局、もう一つのルートと合流するまでに100m近く登り返すこととなった。
これならば、舎身ヶ嶽から引き返してもう一つのルートを降りた方が楽だったかもしれない。

合流した後は県道を離れて山道に入る。
ここから先は下りになると勝手に思い込んでいたが、実はまだ登りが続くのである。
おまけに標高250mの大根峠越えが待ち受けていた。
しかも、まさかの急登。
心が折れそうになる。
後で振り返ってみると、遍路中でここが一番きつかった気がする。


最後の一頑張り

この時、外人と日本人のカップルが私達の直ぐ前を歩いていた。
最後まで追い付かないままで終わってしまったが、このご夫婦とはこの後何度も一緒になるのである。

大根峠を越えるとその先はやっと下りになる。
里まで下りてくる頃には既に午後4時近くになっていた。
自分達の影が道路上に長く伸びている。
今日は20キロちょっとの行程なので楽に歩けるだろうと思っていたが、アップダウンの繰り返しで時間がかかり、体力も消耗していた。

午後4時10分、22番平等寺に到着。
今日の宿の民宿山茶花は、平等寺のすぐ隣なのが救いだった。
参拝を済ませて4時半には宿に入れた。


豪華な夕食

風呂、洗濯、翌日の宿の予約、ビールのルーチンをこなして夕食。
同宿者は千葉県の男性の他に男性3名。いずれも私より年上のようだ。
他に逆打ち20日目の女性1名。
鯛の塩焼きを食べながら、お遍路の情報交換をした。

今日は予想以上に疲れてしまったけれど、明日の行程も20キロちょっと。
今度こそ楽に歩けるだろうか。


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